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SNSと「仲間」

 
マックス・エルンスト《友人たちの集うところ》
1922年、エルンストがシュルレアリストの友人たちを描いたもの。向かって左から3番目の禿げた顔色の悪い男性はドストエフスキーで、その脚の上に腰かけているのがエルンスト本人だそうです。
この時代、友人とはこのようにまさに体と体が触れ合う関係でしかなかったでしょう。それは、人が真に心を許した証拠でもあります。

知り合いの方から「お友達」オファーをいただき、2年ほど前からFace Bookに参加しています。

が、参加してからコメントしたのは10回を超えず、友達も先方からオファーしてくれた人のみ10名を超えません。そのわりに、ブラウザのTOPにはちゃんとFace Bookを表示しており、数少ない「友達」の更新は逐一見ています。見ているくせに、それに対して「いいね」ボタンを押すこともコメントすることもほとんどありません。

かなり性質の悪いFace Bookユーザーであることは自認するところであります。

twitterはやっておらず、正直言ってやりたいと全く思っていません。

うーん、職業柄マズイんじゃないか…と悩むところでしたが、このところ、何となく諦めムードというか割り切りムードというか…ま、いいや、という気になってきています。

mixiも、少なくとも5年以上前に、お客様から研究のための招待要請を受け玉突き式に友人に招待要請して参加しましたが、こちらは簡単なプロフィールを登録したのみで、一度もコメントしたことはありません。

そういえば、mixiに参加した頃は、あきらかに50才代の親父をねらった若い女性のヤバいお誘いがさりげなく「足あと」として残されていたのですが、さすがにFace Bookは仕組み上そういう誘惑は発生しないな…と思っていたら、最近散見されるようになってきました。

確かに、私のように性質の悪いユーザーに対して余計に…なのかも知れませんが、メールで「友達かも」というタイトルで全く知らない人を次々と紹介してくるので、逆を考えればそういうアプローチも決してできないものではなくなっています。

閑話休題。

昔から「人との距離感」というものに、物理的にも心理的にも興味があります。私が大学で心理学を専攻した理由の一つに、京阪電車の車窓から見える鴨川縁に座っているカップル達のお互いの距離が測ったように一定だった…というのがあります。「人間は、他人とある一定の距離を置かないと、心理的に緊張を強いられるのではないか…」大阪から岡崎公園の京都市立美術館や京都国立博物館へ行く度にそんなことを思ったのが心理学の専攻へと結びつきました。

SNSは近すぎる…これが私の率直な感想です。「今どこにいる」「今何を考えている」「こんなもの食べました」「こんなもの見ました」「ここで飲んでます」…正直、どーでもいいです。あ、言ってしまった…ごめんなさい。私に友達オファーしてくれた方々に言っているのではないのです。

でも、人間、恋愛真っ最中の恋人同士や未成年の子を持つ親でもない限り、友達と言えども他人が何をしているか何を考えているかなんて逐一知りたいでしょうか…まして何を食べているか、なんて。逆に、私はあまり人にそういうことを知られたくもありません。オープンな性格でない、と言えばそれまでなのですが…。

こんなことを言うと、お前バカか、と言われるかも知れませんが、私、SNSって時代のあだ花じゃないか、と思うんですね。インターネットの技術的な発達が究極に達して、あたかも世界の人間と言う人間がまるごと親友のように付き合える(情報交換できる)時代になった…から、そのためのツールが登場し流行っている…けれど、人は本当にそんなものを必要としているのでしょうか。

それより、あまりに情報過多な時代だからこそ、人が人の情報と快適な距離感を保つことができるようにするための何か…それこそが本当に求められているものなのではないか…50歳を大幅にすぎた親父はそう思うのです。まがりなりにもインターネット業界の端に住む人間の言うことではありませんが…否、もしかしたら、インターネットビジネスの中に、それを実現する何かが見つかるかも知れません。


http://digitrek.co.jp/


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家の噺

長期間更新を休止しておりましたが、復活させることにいたしました。今後ともよろしくお願いします。