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ワクワク中年の話


ジャック=ルイ・ダビッド《サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト》
この画を知らない人は少ないでしょう。ナポレオンといえば、コニャックかこの画が思い浮かぶのではないでしょうか。
考えてみれば、ダビッドは私の最も好きな画家の一人であるにも関わらず、このブログには「レカミエ夫人」の1点をご紹介したくらいで、今までほとんど登場していませんでした。不思議です…
この勇壮感、充実感、無敵感、自らへの信頼感…「余の辞書に不可能の文字はない」と言ったという逸話も、この画を見れば信じるしかない、という気にさせられます。
まったく、爪の垢が現代に残っていたらどんなに高価でも買って煎じて飲みたいものです…


私は「人生全て塞翁が馬」という言葉を座右の銘にしています。

この言葉は、人によっては「成り行き任せ」ととらえる向きもあるようですが、私はこの言葉にこれっぽっちもそういう意味合いが含まれているとは思いません。一言で言えば「幸運があっても驕らず、不運があっても嘆かずに常に平らかな気持ちで人生に当たれ」という意味だと考えています。「一喜一憂するな」に近い意味だと考えています。

人間、何事も全て意志の力で自らの意図したことしか行わず意図した結果しか結果と認めない、というタイプの人もいますが、私は「人の意志と力だけで意図した結果を導くのは不可能」と考える人間です。努力の価値を認めない気持ちも努力を放棄する気持ちも全くありませんが、「運」あるいは「運命」の影響がゼロであるとはとてもではないが考えられません。昨年末、私の周辺で、普通ならあと数十年は生きるべき人が立て続けに無念の最期を迎えられ、この考えはますます強固になっています。

ただ、その「運」ないし「運命」が、良い方に転ぶようにする、ということは必要だと以前から考えていました。誰も「運」「運命」が良い方に転ぶように「努力」することはできません。「こうすればよい方に転ぶだろう」という予測がつくものはそうなるように努力するのみです。「こうすればこうなる(可能性が高い)」のが分かっているわけですから。問題は、やった方がいいのか、やらない方がいいのか、という判断を迫られた時です。何でもやらないよりやった方がいいように思いがちですが、意外とそうではありません。どちらがいいかは運・運命次第です。あなたは車を運転してトンネルの中を走っている。長いトンネルに入って大分経ったところで、自分の走っているすぐ先で崩落事故がはじまった。アクセルを踏み込んで崩落の向こうへ抜けるか、急ブレーキを踏んで崩落の手前で止まろうとするか…。

車を走らせているので「何もしていない」わけではない。アクセルを踏むのは積極的、ブレーキを踏むのは消極的に見えるが、どちらも危機回避のための「努力」をしていることに変わりはない。

極端な例え話をしているようで、実は人生にはこんなシーンが頻繁に起り得ます。こんな時私はというと、自分の気持ちに忠実に動くようにしています。運・運命はどちらへ転ぶか分からないし、私にはどちらかへ転ばせるよう努力する術もない。

後は後悔しないことでしかなく、それが「人生全て塞翁が馬」の真髄です。

なぜこんなことを書いたのか…仕事の上で、やろうかやるまいか迷った揚句、やることにした。やったことが良かったのか悪かったのか…どちらかというとやらない方が良かったのではないかと思ったので次はやらない方を選択した。すると今度は、やっぱりやった方が良かったのではないかと思いはじめ、次は…と悩んでいると、最初の判断の「やったこと」も次の判断の「やらなかったこと」も結果ALL RIGHTとなった…なんてことを繰り返しながら、延々悩んでいる自分がいるからです。

昔の人は40歳を「不惑の歳」なんていいましたがとんでもない。それは「人生わずか50年」と言われた時代の話。私などは幾つで死ぬか知りませんが、その日まで「惑惑」していることでしょう。

1月もすでに終盤を迎え、今年も無事「惑惑」した一年を過ごせそうです。


ジャック=ルイ・ダビッド《皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠式》
ダビッドは18世紀新古典主義の巨匠。この荘厳、この重厚、この輝き、そしてやっぱり、この自信…自信と確信があることは美しいことである…というのをダビッドは何のてらいもなく見せつけてくれます。同じ人間として、「ワクワク中年」とのこの差は一体何なんだ…


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家の噺

長期間更新を休止しておりましたが、復活させることにいたしました。今後ともよろしくお願いします。