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「過激」は罪か?


フランシスコ・デ・ゴヤ《我が子を喰らうサトゥルヌス(黒い絵)》
『本作の主題は、天空神ウラノスと大地の女神ガイアの間に生まれた6番目(末弟)の巨人族で、ローマ神話における農耕神のほか、土星の惑星神や時の翁(時の擬人像)としても知られるサトゥルヌスが、我が子のひとりによって王座から追放されるとの予言を受け、次々と生まれてくる息子たちを喰らう逸話我が子を喰らうサトゥルヌスの場面である。』とのこと。発言の過激さと発言者の出す毒の強さは別であるように、作品のテーマの過激さと作家が出す毒の強さは別物です。
以前「維新伝心供廖
http://iey.jugem.jp/?eid=159)でご紹介したヒトラー(数百万人を死に追いやった張本人)の画は、拍子抜けするほど毒のないものでした。

宋文洲さんの「尖閣に隕石が落ちたらいいのに」というテレビでの発言が取り沙汰されているようです。番組中アナウンサーが謝罪したり、スポンサーへの配慮で今後彼がテレビから締めだしを食うのでは、と言われたり。しかし彼は、ツイッター等で「なぜお詫びしなくてはならないのか分からない」など「逆ギレ」していると報じられています。

私はここ数年、日経ビジネスへの連載から彼を知り、連載終了後月に1回希望者に送ってくれるメールマガジンを愛読しています。そうこうするうち、宋さんの顔をテレビでも頻繁に見るようになりました。

テレビで見る宋さんの印象は、その文章から受ける印象とかなり違います。やはり中国の人なので、日本人とは物腰が違い、常に感情を抑えながら話す人が圧倒的に多い日本人から見ると話し方がちょっと怒鳴り気味に聞こえてしまいます。一方、文章を見ると、非常に聡明で洞察力があり、同時に感情も豊かな人であることが良く分かり、決して感情に任せて危ない言葉を吐き散らすタイプでないことがはっきりと伝わってきます。

私は、一日本人として外国人の彼の「日本愛」にいつも感謝を覚えるとともに、彼が控えめですが「祖国愛」を語るのも当然だと受け取っています。だって、中国の人ですから。中国の人の「祖国愛」は日本人から見ると複雑です。日本人は郷土愛をそのまま祖国愛に持ち込めば済む話ですが、中国の人は、郷土愛=祖国愛…というわけに行きません。「祖国愛」は政府の管轄下なのです。宋さんが控えめに「祖国愛」を語るのは、実は「祖国愛」ではなく「郷土愛」を語っているからです。ちょっと言葉の使い方が正確ではないですが、私がここで使い分けている「祖国愛」と「郷土愛」については、前者が政治的用語としての「愛国心」に置き換えられるものであるのに対して、後者は一言にすると「自国文化への愛」を指しています。

脱線してしまいましたが、そんな宋さんが言った「尖閣に隕石が…」という言葉が、なぜそんなに問題なのか実は私にもよく分かりません。宋さんがそういう発言をした理由は宋さんの愛する二つの国の争いの種がいっそ消えてくれればいいのに…というシンプルな思いであったと思うし、尖閣には誰も住んでいるわけではないので、犠牲者が出ることを無視した発言でもない。さらには、ロシアへの隕石落下でけが人が出ていますが、だからといってこの人たち揶揄するような不謹慎な発言でもない。むしろ、人の住むロシアの街より東シナ海の無人島に落ちた方が…というのは極めて全うな考え方です。尖閣が地図から消えれば確かに日本は領海の問題で多少損はするでしょうが、一方的に日本の損失を願う言葉でもない。つまり、発言にはどこにも関連両国への一方的な肩入れや不謹慎を責められる要素はないのです。宋さんがなぜ詫びなくてはならないのか分からない、と発言されるのは尤もなことです。

なぜ取り沙汰されるか…発言が「過激」だったからです。過激な、つまり刺激の強すぎる言葉だったから、聞いた人は思わず驚き、人を驚かせる言葉は悪いこと、と判断されてしまったのです。これは、橋下大阪市長の発言などでもよく見られる現象です。

ところで私は自分で自分のことを「祖国愛」「郷土愛」の強い人間だと思っていますが、日本人の多くが持っているこの「過激嫌い」がとても嫌いです。「『過激』の何が悪い!」と思ってしまいます。確かに劇薬はリスクも高いのですが、一方でそれが劇的に効を奏することがあるのもまた事実です。「波風を立てないことが美徳」という考え方は、結構日本人の心に深く根付いているようですが、私はそれは決して美徳ではないと思っています。

話は変って、元駐中国大使の丹羽さんが事実上解任されて時間が経ち、そろそろ注目が去ったところで思い切り言いたい放題を発言しています。「日本が波風を立てたのだから日本が悪い」という主旨です。このような発言は、中国政府ではなく中国の人々に「ほら、やっぱり日本人だって実は日本が悪い、と思っているじゃないか」と考えさせるものであり、尖閣問題をますますエスカレートさせる、百害あって一利無しの言葉です。言葉には宋さんの言葉のような過激さはありませんが、害毒の強さは比較になりません。

同じような元企業家(と言っても一方は留学生からベンチャー企業を育てたチャレンジャー、一方は大企業で「波風立てずに」順風満帆に出世した純日本型経営者)が、同じ問題に対してした発言で、一方は毒はないが毒々しい見た目であったためにたたかれ、一方は猛毒を持つが地味な見た目で見逃される…これも一つの日本文化だ…というところに、私が最も嫌いな「日本」があります。

ちなみに、私、宋さんは本当に日本に対しても中国に対しても強い愛情があるのだと思います。一方、丹羽さんは、日本に対しても中国に対しても愛情が極めて薄い人だと想像します。そうでなければ、一連の発言の意図が説明できません。


フランシスコ・デ・ゴヤ《180853日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺》
ナポレオンがスペインに侵攻して占領した翌年、スペイン独立戦争の最中マドリッドで反乱を起こした400人をフランス軍兵士が銃殺する様子を描いたもの。
テーマは過激ですが、ゴヤ自身一人の人間を殺したわけでも、また殺した兵士を非難したわけでもありません。銃殺隊の隊員は横―後姿で描かれており、むしろはっきり描かれているのは殺される側の人々の表情です。

http://digitrek.co.jp/




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長期間更新を休止しておりましたが、復活させることにいたしました。今後ともよろしくお願いします。