スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


夏の空



 
ルネ・マグリット 上《大家族》 下《偽りの鏡》ベルギー生まれのシュルレアルイズム画家として著名なルネ・マグリットの作品には、デペイズマンという予想もしないものを組み合わせるというシュルレアリズムお得意の手法を駆使する中で、しばしば印象的な空が登場します。私は何となく「空を描いた絵画」というとマグリットを思い浮かべてしまいます。


「夏休み映画」を2本立て続けに観ました。「終戦のエンペラー」…こちらは私が観たくて家族を付き合わせました。「風立ちぬ」…こちらは家族が観たがり、私が付き合いました。

けれど、結果的にはどちらも驚くほど似通った印象を残す映画でした。

主たる時代背景が太平洋戦争中であること、主題が「日本人のメンタリティ」であること、アメリカ人と日本人、民族と立場が逆でも、主人公が自らに与えられた使命あるいは夢に忠実であること、その恋人もまた自分の置かれた立場に実直に向き合って生き、そして早世してしまうこと、戦前戦中戦後のシーンが重要な時代背景として描かれていること。本当に、共通の部分を挙げだしたらきりがないほどで、結果としてこの2つの映画は観終わった後の私の中にとてもよく似た余韻を残しました。

どちらの映画も日本の敗戦・全面降伏・廃墟の街・恋人の死で終わっているだけに、余韻は物悲しく沈んだものでしたが、同時に何か清々しさも含んだ、独特のものであったような気がします。

亡くなった女の子を偲ぶ曲と思われるユーミンの「ひこうき雲」がまったくもってマッチしていました。

西洋や中近東では一柱の神様が善悪を定め、ツアーリズムが根底にある中国やロシアでは、政治権力が善悪を決めます。朝鮮半島もやはり中国ロシア文化圏で、政治権力による一神教を求めますが、韓国などは一応自由主義化されているのでやむなく西洋の一神教の導入に熱心だったりします。これに対して、島国の中で長い時間をかけて文化的な均質性を醸成してきた日本人の中では、善悪の境界はお互いの暗黙の了解の中にあります。だからこそ八百万の神々が成り立ち、その事実上の「無数」にまとまりを持たせているのが天皇制ではないでしょうか。

ですから、キリスト教系の幼稚園が遠足で神社にお参りに行く、というような微笑ましい光景が見られるのも、実はこの天皇制のおかげ、とも言えます。と、まぁ、これは極論ですが、要するに「お互い信じるものは違っても、日本人なら分かるよね…」この「日本人なら分かるよね…」が本当の我が国の宗教です。

これが日本以外には伝わらない…だから、マッカーサーも戸惑ったし、今も中韓とぎくしゃくする理由の一つでもあります。(尤も、中韓とのぎくしゃくはそれ以外の理由が大きいとは思いますが)でも、これって、グローバル化の時代に世界標準に日本が合わせるべきことなのでしょうか。

世界では、未だに一神教信者同士がお互いの神様で争っていますし(また、中近東あたりでは新しい戦争がはじまりそうです…)、政治権力が善悪を決めているところは道徳が大変なことになっています。

キリスト教系幼稚園の園児が遠足で神社にお参りする…けしからんことでしょうか。私は、平和の極みを示す微笑ましい光景だと思います。

これって、むしろ世界に拡げるべきものなのでは。

どうしたらそれが…良い質問ですね…あるいは、難しい質問ですね。

私ごときには、どうすればそれができるか全く想像がつきません。

でも、何か商いをして生きて行かなくてはならない身なので、商品化できたら最も価値ある輸出品になるのにな、と思ったりします。

まさに、ジブリ映画などがその典型かも知れませんが。


http://digitrek.co.jp/

 


スポンサーサイト


コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

家の噺

長期間更新を休止しておりましたが、復活させることにいたしました。今後ともよろしくお願いします。